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Mastodon の電脳考古学、あるいは不在の中心としての Twitter について

突然ですが、5月始めに出る「マストドン本」に寄稿させて頂くことになりました。後半の技術パートの導入として、Mastodon の技術的な基盤である OStatus の章を担当しています。

本書の執筆には、mstdn.jp のぬるかるさんや pawoo.net の中の人に加えて、界隈では誰でも名前を知ってるような面々が勢ぞろいで、まさに Mastodon オールスターといった趣であり、わし本当にこんな所に混ざっていいのか…。まぁ、ともかく現在予約受付中です、買ってね!

これがマストドンだ!  使い方からインスタンスの作り方まで (NextPublishing)

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思い返すになかなかの急展開ですが、最初、降って湧いた Mastodon ブームに第二次 P2P ブームの面影を見て手を出したくなり、じゃあ Akka Streams で OStatus プロトコルを実装してみようかなと、さっそく OStatus API の挙動を調べるために Pawoo を curl でつつき回したり、gist にまとめ記事を書いたりしていたところ、それを見ていた知人の紹介でインプレスさんから依頼を頂いたという次第です。

それが先週の中頃で、一昨日には校了したのでたった一週間で作られたことになります。当然、リアルで紙をやり取りしていては間に合わないので、原稿は Google Drive でやり取りし、著者同士の連絡調整は Facebook Messenger、書き上がったらその場で組版システムに突っ込んで出力結果を見ながら校正、という具合。出版に関わったのは初めてなんですが、最近はこんなスピード感なんですねぇ、いやはや。

担当編集者さん、さすがにこういう進行だと本当に大変そうで、時間が限られてる中で著者10人を相手に原稿集めて組版して校正してと大車輪でヒイヒイ言っておられました。おつかれさまです…。

Mastodon の電脳考古学

ところで、手元に作業時間と紙幅の関係で原稿に入れられなかった謎の図があるのですが、もったいないのでここに置いておきます。

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これは、記事を書くにあたって OStatus の背景にある技術思想の歴史を押さえておいた方が良かろうと思い、関連するプロダクトや仕様書の日付を整理してみたものです。まぁ、これだけでは何のこっちゃという感じだと思うので詳しくは書籍をお買い求めください(宣伝)

この辺の歴史は掘ってみるとなかなか面白いのですが、一つ問題があって、こうした経緯を語る資料が今まさに失われかけているってことですね。OStatus 関連、公式サイトどころか、仕様書自体がネットから消失しかけているものが多く、それを探し出すべくネットを徘徊していると「電脳考古学」という言葉を思い浮かべてしまう。たった十年前の話だというのに。

この辺、興味がある人は今のうちに資料を収集して保全しておくと良いんじゃないかしら。もう十年も経ったら何もかも電子の海の向こうへと消え去りそう。

「不在の中心」としての Twitter

最初に「今の Mastodon ブームを見ると過去の P2P ブームを思い出す」と書きましたが、ただ、ブームを駆動する動機は十年前とは大きく異なっているように思います。その根源は、ネットやそれを取り巻く社会のありようがこの十年で大きく変わったことにありそうだ、というのが僕の意見です。

ゼロ年代前半までのネットは、まだまだ社会の外部であるという意識を強く持っていたと思います。「ネットの自由」と「社会の規範」との間にある緊張関係は今よりもはるかに強く、またネット側の立場を強力に代表する人間や組織もなく、このままでは権威が介入して自由が全てスポイルされる日が来るのでは、という懸念が真剣に語られていた頃です。

そんな時代に分散システムが要請された理由は、一言で言えば「単一障害点をなくす」ということでした。責任主体の分散化、つまり責務を数多くの個人(が所有するコンピュータ)に「分権」して薄めることでシステムと参加者を守ろう、という動機があったわけです。

そして現在。今や、ネットは社会そのものとなりつつあり、また我々は GoogleTwitter という中央集権的なシステムを信頼してネットを使うようになりました。そして、彼らは社会の一部に入り込んで「ネットの利益」を代表する存在となり、少なくとも民主主義陣営の国々の多くで、突然ネットに強力な規制がかけられる可能性は下がっています*1

こうして、十年前と比べれば中央集権的な構造に対する警戒は(良くも悪くも)薄まっており、そういう切迫感が動機付けとなる状況ではなくなっています。例えば、GNU social 陣営と Mastodon 陣営の議論における微妙な温度差は、「自由」について常に危機感を持って活動してきた旧世代と、それをリスペクトしつつも切実さが薄い現行世代の違い…というまとめ方はいささか乱暴かもしれないですが、まぁそんなことも感じます。

では、こうした状況においてなお、我々が分権的なコミュニティを求める動機って何でしょうか?

僕は、「社会そのものと化したネットから一歩引く」という話なのだろうと思っています。全てがグローバルでフラットな場から撤退して、参加者や管理者の「顔」が見えやすい場を求めて移動し、ノイズが少なく心理的な安全性が高い少しだけ閉じたコミュニティを作る。この Mastodon ブームがどこまで続くかは不透明ですが、少なくとも、そういうバランスを取りたいという欲求の現れとして見ることはできそうな。

かと言って、これは Twitter の役割が終わったことを意味しないでしょう。なぜなら、今や Twitter とは概念であり、具体的に OStatus 互換実装たちが「連合」できるのはそのおかげだろうと思うからです。

記事にも少し書きましたが、僕は OStatus を構成する仕様のうち最も重要なのは、インスタンス間の通信プロトコルである PubSubHubbub や Salmon ではなく Atom フィードとその「語彙」だろうと思います。例えば、我々は「フォロー」という語彙が何を指すのか知っており、インスタンス間で「AはBをフォローする」というメッセージが伝えられた時に、利用者や異なる OStatus 実装がその意図を誤解する余地はありません*2。それに対して、そのペイロードを運ぶプロトコルはいくらでも取り換え可能だろうし、むしろもっと良い選択肢がありそうに思います。

思うに、OStatus は Twitter からの「脱出」を目指して作られたものですが、これらは不在の中心である Twitter の周りを巡っているが故に、バラバラにならずに済んでいるのだと思います。Twitterマイクロブログの語彙を象徴する「バベルの塔」であり、仮に将来それが崩壊するようなことが起きれば、きっとまた、連合も維持できなくなるでしょう。

*1:まぁ、日本がどうなるかは知らんけど。今の政治状況を見るとなぁ…。

*2:少し解説が必要でしょうか。例えば、フォローが「相互フォロー」だったり、公開アカウントであっても申請の承認が必要だったり、足跡を取られるようになったり…という形で実装される可能性だってあったわけです。複数の開発者が「マイクロブログ」を実装したとしたら、そこの方針が対立して互換性が保てない事態もありえたでしょう。しかし、TwitterTwitter なのでクローンにおいても定義は揺るがない…とまぁそういうニュアンスです。